【エリア】オーチャードロードの歴史

シンガポール

1800年代

1819年にイギリス人がシンガポールに上陸したとき、この地域にはガンビア(植物)のプランテーションがありました。1830年代から1840年代にかけて、ヨーロッパからの移住者たちがガンビアの農園を購入し、ナツメグの果樹園に転換しました。しかし、1857年には病気が発生し、ナツメグが全滅してしまいました。土地の所有者たちは他の果樹を植えて農園を再生するか、土地を売却する選択を迫られ、多くの土地が売りに出されました。

このような状況の中、この地域は住宅地として開発されるようになり、中国人、マレー人、インド人、ユダヤ人など様々なコミュニティが定住するようになりました。礼拝所や墓地、学校なども建設され、これらの文化遺産は現在でもその名残を感じることができます。

オーチャードロードと墓地

オーチャードロードの怪談話が時々話題に登るのは、開発前に以下の墓地が存在していたからです。

  • 現在、ホテル・グランド・セントラルがたつ場所には、1820年代に西スマトラのベンクーレンから移り住んできたマレー人(ブギス)の墓地がありました(1973年の都市開発まで存在)。
  • 1841年には現在のドビー・ゴート駅付近にユダヤ人墓地が建設されました。
  • 1845年には、潮州からの移民が創設したニー アン コンシー(義安公司)という慈善団体が、東インド会社から現在のヒルトンホテルからニー アン シティ(義安城/高島屋が入居しているビル)の周辺の29ヘクタールを購入し、潮州人のための墓地(泰山亭)を建設しました。

1900年代から現在

1984年にオーチャードロードのクリスマスイルミネーションが開始しました。

1950年代初頭、ニー アン コンシー(義安公司)は慈善活動と教育活動の資金を集めるために所有する土地の開発を決意し、潮州人のために建設した泰山亭墓地の発掘を開始しました。発掘した遺骨はイシュンにある潮州記念公園に埋葬され、1957年、墓地跡にニー アン ビルディング(1985年取壊し)がオープンしました。

1980年代後半から1990年代前半にかけては、MRT南北線のオーチャード駅、サマセット駅、ドビーゴート駅、当時シンガポール最大のショッピングセンターとなるニー アン シティ(義安城/現在高島屋が入居しているビル)が建設されるなど、大規模な開発が続きました。

1984年には現在も続く、オーチャードロードのクリスマスイルミネーションが開始されました。


参考文献:Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Orchard_Road 
National Library Board website https://www.nlb.gov.sg/main/article-detail?cmsuuid=7e8fc73b-364f-4ab1-afde-76d673d4408c
Ngee ann city website: 義安公司 | NGEE ANN KONGSI | (thengeeannkongsi.com.sg)


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