「リトル・インディア」というこの名称は、1980年代にシンガポール観光推進委員会により名づけられたもので、それ以前この地域はシンガポールで最も古い道の一つにちなんで「セラングーン」として知られていました。
1819年から1860年
ジョホール州とのコショウ貿易の重要な積み下ろし地点として栄えていきます。カラン川とローチョー川という重要な水路の存在により商業が盛んとなり、19世紀にはこのエリアに様々なコミュニティが集まり村が形成されていきます。1820年代までに、イギリス人はセラングーンロード沿いに石灰採掘所とレンガ窯を設け、多くのインド人がそこで働いていました。
1860年から1930年
レンガ窯は1860年に廃止され、その後、この地域は牛・水牛を使った物資の運輸業で発展していきます。ローチョー川の豊富な水は水牛の恰好の水浴び場でもありました。
セラングーンロードの西には多くの牛関連産業(皮なめし工場、牛乳の行商なども含む)が誕生していきました。
旧テッカマーケットは、牛の農産物を販売するための集合市場として1915年に建設されました。
建設理由は、小売活動によりセラングーンロード沿いの道路が混雑しないようにするためでした。
1930年から1970年代
畜産業と平行して、小麦粉砕小屋、ゴム燻製工場やパイナップル工場なども出現していきました。
20世紀初頭には多くのインド人移民が自治体に雇用されるなどの様々な要因によりインド人が増加し、これに対応する店舗や施設ができ発展していきます。
1945年から1980年代
戦後もしばらくリトル・インディアの社会経済は混乱を免れなかったものの、1965年にシンガポールが独立を達成した後は、都市再生の動きが活発となり、多額の資金を確保した開発計画が開始しました。1980年に古いテッカ市場を近くのより良い施設に移転することが決まり、1981年に現在のテッカセンターが建設されました。
場所 | リトル・インディア |
地図 | https://maps.app.goo.gl/3hqJZGnz4eb99njo9 |
(参考文献:National Heritage Board web)
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